釜飯

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釜飯

燕は江戸時代より続く金属加工の町です。時代と共に技術を発展させ、第二次世界大戦後、輸出産業が盛んとなり、現在では日本有数の金属加工産地となりました。

昭和三十年代には「燕通い」と呼ばれる程、燕駅は多くの労働者で賑わい、それにより、飲食店や酒場が増えていきました。昭和三十四年「松月酒場」(現釜めし松月)が旧燕市の中央通りに開業し釜飯を提供すると瞬く間に人気に火がつきました。松月は元ヤスリ製造業だったことから、金属産業界の社長に支持され、多くの会社は大きい仕事が終わると社員を労うために釜飯を振舞ったといわれています。

燕では仕事の残業時には燕背脂ラーメンが食べられ、釜飯は、祝い事などのハレの日に食べられました。宴席の際には、折詰の釜飯を家族へのお土産として持ち帰ったことから、家庭にも釜飯は浸透していきました。高度経済成長時代など、燕の産業が発展するにつれて釜飯を提供する店が増え、多くの市民に愛される食となりました。

 

燕市釜飯マップ2021