越後平野を守る大河津分水
3年に一度洪水を引き起こす暴れ川
燕のまちには信濃川、西川、中ノ口川という3つの川と、大河津分水という人工の川が流れています。 日本一の大河・信濃川は、その支流である中ノ口川と共に、昔から燕に豊かな恵みをもたらしてきました。 しかし、同時に氾濫を繰り返し、大規模な水害により人々を苦しめる「暴れ川」でもあったのです。
救世主の大河津分水路
提供:国土交通省信濃川河川事務所
そんな信濃川の洪水を日本海へ流し出すことで、人々を水害の苦しみから解き放とうと考えられたのが、大河津分水の建設でした。
1907(明治40年)年から約15年、延べ1000万人もの人々が従事するなど世紀の大工事で生まれた大河津分水路によって、湿田が乾田化され、機械化に伴い米の収穫量が2~3倍に増え、越後平野は日本有数の米どころに発展しました。交通網の発達にも重要な役割を担い、国道8号線などは平野の中央を貫通する形で整備されました。また、信濃川の川幅を狭くすることが可能になり、新しい土地が生まれ、地域の発展に結びつきました。
普段の大河津分水路
普段はとても静かで、その雄大な流れは人々を魅了しています。
また白鳥をはじめ、数多くの水鳥を見ることができる他、魚道観察室や水遊びのできる体験水路もあり、地域の人々からも親しまれている川なのです。