おいらん道中の歴史

おいらん道中の歴史

桜の道で紡がれた70年の歴史と誇り 〜次の70年へ〜

新潟県民の悲願であった「大河津分水工事」。

工事完成を祝った桜植樹。
集う観桜客への「おいらん道中」披露は、大河津分水への感謝の

気持ちだったのではないでしょうか。
 

 越後平野をうるおし、日本海へとそそぐ日本一の大河・信濃川。

 かつては暴れ川として恐れられ、洪水のたびに氾濫を繰り返し、中でも明治29年の「横田切れ」では越後平野一帯が1ヶ月にわたり浸水する大水害となりました。衛生状態の悪化により多くの人々が命を落とし、農作物の収穫は皆無になったと伝えられています。

 大河津分水の計画は江戸時代にまでさかのぼり、幾度となく請願活動が繰り返されました。そして、最初の請願から約200年後の明治40年。ついに大河津分水工事が始まったのです。その後24年の歳月と延べ1千万人の労力、当時最新の技術を駆使して、昭和6年、大河津分水は完成しました。

 

 そして、この世紀の大事業の完成を記念して、明治43年頃から住民が堤防に桜を植えたのが大河津分水桜並木の始まりです。
 おいらん道中は、 大正13年頃、地元の有志が、花見客向けに行った仮装行列が起源といわれています。昭和9年に分水の桜と景勝を全国的に宣伝しようと「分水路花の会」が発足、行楽客の増加を機に、昭和11年頃から賑やかに挙行されてきました。

 その後間もなく戦争により中止。戦後、日本の復興も軌道に乗った昭和24年4月23日、桜並木の下で華々しく復活しました。

 以来、大火と大雨による中止の他は、毎年4月に行われるようになりました。

 しかし、平成23年、未曾有の大災害である東日本大震災の状況を考慮し中止いたしました。

 昭和6年に建設され、80年間にわたり越後平野を水害から守り続けてきた「可動堰」。平成23年11月からはその重責を新しい可動堰が引き継ぎ、未来の希望を背負って今日も越後平野を守っています。

 郷土を守る先人たちの心を繋ぐ「大河津分水」

 その志を今に繋ぐ「分水おいらん道中」

 

 歴史は繋がり、そしてこれからも、次代に繋げてまいります。

 

 

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